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また、なぜそのような惑わすような言葉を自分へ言われたのか、という理由については、以下の高津さんのお考えが私としてはしっくり来るので、引用させていただきました。
違和感を覚える人からの言葉であれば、受け取る必要はありません。
それはきっと、「その言葉を受け流すことを通じて、心を揺らさない学びに転換しましょう」という天使からのメッセージだからです。
私も問題の本質が別にある場合、言葉で伝えようと努力していますが、まだまだ力及ばないこともあります。
なので常に護符には、当人様の願いが叶うことと同時に、根本的な問題がある場合それに気づいて解いていけることも込めています。
例外はSEEDで、あれはむしろ根本的な問題にダイレクトアタックする性質があるので、(多くの場合ショッキングな出来事として)本気で自分自身を見つめ直さなければならないような状況になりやすいです。
なのでSEEDのページの説明は、けっこう厳しい言葉になっていますが(^_^;)
護符にしろ、SEEDにしろ、どちらも現れるときは現実の変化として現れます。
私の言葉よりも明確に解決の必要性のある、現実的なこととして、根本的な問題に向き合えるでしょうから。